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株式会社シマジューの代表島尻のことを話します!

波乱万丈?!島尻社長の自己紹介【第一章】

 

幼少期の私は、はっちゃけてた?

 

株式会社シマジューの島尻と申します。

もし、あなたの家に行くことがあれば、しまちゃんと気軽に呼んでください。

 

生まれは長崎県諫早市です。父親の仕事の関係で生まれてすぐに本州(大阪)に引っ越してますので九州男児とは自分でも言い切れないのが少し心残りかなあ(笑)

 

大阪の堺市に2年くらい住んでいたらしいのですが、この時私は赤ちゃんなので、まったく覚えていません。父親は、転勤が多かったようですね~。そして2年後、名古屋市北区に住むことになります。これも覚えていません。そして名古屋市南区に引っ越したあたりから覚えています。

 

 

近くに堀川という川があり材木とがが川に浮いていたのを覚えています。アオダイショウという蛇が出て幼稚園のときなのでビックリしていたのが記憶にありますね。名古屋市熱田区に大乗幼稚園というのが名鉄電車から見えるのですが不思議な形をしているので、名古屋人であれば多分しっていると思います。そこの幼稚園に通っていました。

 

ここの幼稚園に行く途中、ものすごい急な坂があるので、車で登るときに私のお母さんがクラッチ操作がへたくそで後ろにブーンと下がった記憶があります。すごく怖かったですが今となったらいい思い出です。(笑)そういえば、一度、発信とバックを間違えて壁に自転車ごと車に挟まれたことを思い出しました。うちのお母さんデンジャラスでしょ☺

 

そしてこのころ市営住宅が抽選で当たったと、お母さんが喜んでいました。そして同じ南区の違う学区に引越をしました。なので小学生は誰も知らない転校生状態でスタートしました。初日に集まったときにてっちゃんとたっちゃんという双子の兄弟がいて仲良くなれました。なのでスタートはスムーズに友達もできてよかったです。

 

低学年の時は、とにかく外で遊ぶのが好きで、木登りをしたり野球をしたり体を思う存分に使ってました。そして3年生になるころにファミコンが流行りだし、私の家にもファミコンを買ってもらい家で遊ぶことも少しずつ増えてきました。

 

このころのゲームはベースボールとかマッピーとかです。40代の人は懐かしいのではないでしょうか?ファミリーベーシックも買ってもらったのですがイマイチ使いこなせなかったことを今でも覚えています。

 

あのころからしたら、今のようなPC環境が出来上がって、スマホのような技術ができるとは思ってもみなかったです。技術の進化ってすごいなあと思います。

 

小学生高学年ころになると、けっこう人見知りが激しくなります。なので6年生ころになると、人前でしゃべったりすることが苦手な子でした。あがり症という感じかなあ~

 

中学校と高校では大人しい子だった?

 

中学校に入ると、なかなか社交的になれずに、しゃべりも苦手な子でした。まわりの友達はヤンキーになっていった中で私は、そうでもなく普通の子でした。昔、悪いことしていた子ともそんなに遊ばなくなった感じですね。部活は3年間ハンドボール部でしたが、あまり目立つこともなくパットしない子供でした。。。。

 

 

そんな中、高校生になります。これがまた男子校なので毎日が喧嘩ばかりでした。私は、そんなに喧嘩に興味がなかったので、冷めた目で、また始まったみたいな感じで見ていました。

 

部活もサッカー部でしたが1年も続かずに辞めてしまいました。このころに気づいたのは、努力したりすることができなくなっていましたので、すべてのことがダラダラと過ぎていきました。そんな時ギターと出会います。そのギターが人生を少しだけ変えたのかもしれません。

 

ちょっとは社交的になってきたんです。そして名古屋のハートランドなどでバンドを組んで演奏するようになってました。そして将来は音楽の道で食べていこうかななんて思ったこともあるくらいでした。そんな思いを持ちながら高校を卒業したのを覚えてます。

 

っということで続きは、第二章をお楽しみに。。。。。。。